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ワイズワークのふたりごと

5月26
投稿者:(M)

ある日、1本の電話を受けた。「高い脚を作っていただけませんか」。

ご承知のように私たちは、日本の生活に適した住具を、と心がけて商品開発をしている。28年ほど前に開発した『集いの座卓=両面使える組立座卓』がその原点かもしれない。180×90㎝の天板を、十文字に組んだ脚の上に載せるだけの構造。想定した用途は、普段はダイニングセットを使っている核家族(当時はそういう呼び方が流行ったものだ)家庭に客を迎えようとするとテーブルは小さいし椅子も足りない、そんな時にどこからともなく天板と脚を取り出してポンと載せるだけで8人が囲める大きな座卓が用意できる、というもの。
少しずつ構造を改良して販売を続け、とうとう28年も経ってしまった。ロングセラーになったのは販売を一手に引き受けてくださった某通販会社のお蔭に負うところが大きいのだが、購入された方からのご意見も大きな支えだった。
「結婚前に実家で使っていて便利だったので」という若奥様。
「寺なので、法事など人が集まる場づくりに5台を」というお坊様。
「自宅で教室を開いているので2台を」という手芸の先生
………集いの座卓

開発当初、私たちがこの座卓につけた名前は『フレキシブルテーブル』。生活の場をフレキシブル(融通性のある)に、という考えだった。カタカナ名前は馴染まなかったらしいが、カスタマーは実にフレキシブルに使いこなしてくださったという訳だ。

昨年、その通販会社の企画担当者から「うちも使いたいんですけど、高齢になったオヤジが膝が痛いので座るのは嫌がるのです。テーブルの高さに出来ませんかねえ」という意見があった。実は以前からその声はあちこちから聞いていたが、ついもたれてしまったときに座卓よりもテーブルの方が体重が多くかかるので、天板がずれて危険なのではないかと危惧し、開発を避けていたのだ。だからそのときも同様の対応をした。集いの卓

そして冒頭の、1年ほど前に座卓を購入されたお客さまからの電話。危険性があるから、と念を押す私に「使い方は十分わかっています。たくさんの人が集まるときに、サイドテーブルとして壁際に置きますから」とのこと。私たちがとても想定しなかった、しっかりフレキシブルな使い方である。

これが機会になって、試作、検討会を重ね、ついにこの5月に高脚の『集いの卓 ハイタイプ』を発売。と同時に初回製作分は完売。

世の中はいつの間にかロースタイルではなくハイレベルに変わっていたのね、と気づかされた次第。(M)

10月30
投稿者:(S)

この秋、素材の異なる重箱を2点発表した。漆のものは秋田県川連(かわつら)の“漆工房摂津”さん、磁器は佐賀県有田の“(有)李壮窯業所”さんとの共同開発だ。
漆重箱2

川連は東北を代表する漆器産地の一つで、20年余り前に組合の開発事業に関わったことがあり、加飾に凝らずシンプルで使い易く、また得意とする「花塗り」という技法は堅牢で長持ちするのでとても重宝。わが家にはこの地の漆器がひと棚を占めている。その川連で70年の歴史を持つ摂津家の現当主は私と同じ歳、ただ、このたびの開発は長男広紀さんとの共作である。

開発した重箱の目玉は仕切り板2枚を添えた深さの違う長方形の箱と蓋のほかに、銘々皿2枚を組み込んだこと。(写真の蓋の下が銘々皿)更にその皿を2枚一組で追加購入できるシステムにして、多人数にも応じられるよう工夫した。某通販で売り始めた結果、半分以上の人が銘々皿を追加注文、中には8枚も求められた方もあった。意図を評価いただいた結果だろう、とちょっぴり嬉しい。

入れ子重1
一方、日本を代表する陶磁器産地佐賀県有田の数多の窯元のなかで、100年を越す伝統を持ちながら最新技術を次々に導入する李壮窯業所と開発したのが「銀彩入れ子三段重」である。この窯元も先代はご健在であるが今回共作したのは長男の寺内信二さん。奇しくも大学の後輩である。寺内さんは試作に3Dプリンターでモックアップを試みたり、佐賀県窯業技術センターが開発したデジタルによる成形方法をいち早く取り入れるなど進歩的な窯元だ。(そのおかげで精度の高い入れ子が可能になった)また、技術のみならず販売にも新たなルート開拓に積極的で、海外の有名料理人と組んで有田の仲間とともに新たな需要を掘り起こそうとしている。本人は否定するだろうが、これからの有田を担う一人、と私は見る。

入れ子の器というのは昔からあった。ただ、収納の便利さを求めるだけでなく、小さい箱から順次積み上げると逆三角の意外な形の器になり、料理を盛って食卓に出せば「おぉ~」と驚かれるよう考えたのがこの3段重。磁器だから料理を入れて冷蔵庫で保管もできる。これも売り出したばかりだが、出足は好調だ。(漆、磁器共に詳細はhttp://new-wa.comに)

今、「重箱」に興味を持つ人は減っただろうし、若者の中にはその言葉さえ知らない人もいるだろう。このたびの開発は小さな市場への挑戦である。でも、ユーザーに潜在するニーズをしっかり掘り起し、ふさわしいデザインの商品を作れば売れるという信念を作り手と共有して、今後も開発を続けたい。(S)

11月25
投稿者:(S)

20年近く前になるが、東京都雛人形工業組合から新商品開発事業のプロデュースを依頼され、作り手が持つ技術の粋を集めた“12ヶ月の飾り”というシリーズ商品開発を提案した。その趣旨は、従来の正月や雛まつり、五月の節句などの季節商品に加え、年間を通して売れる商品を開発すれば繁忙期と閑散期の溝を埋められるのでは?ということにあった。1年間の事業終了後、一部の人たちが通販を通じて開発した商品の販売を始めたと知ったが、私が九州へ活動の拠点を移したこともあってその後の経過を聞くこともなかった。

東京へ戻ったのを機に、当時若手だった組合の幾人かを訪ねてその後の状況を聞いてみると、この類の商品の開発や販売は現在休止しているのだとか。そこで一年を通して売れる飾り物の開発に再度挑戦することを提案、有志5社(人形・屏風・小道具・羽子板・兜)がこれに応じて“今様かざり”プロジェクトがスタート、その第一弾「招福宝袋」をこの12月から市場に出す。(家庭画報通販など)

この飾りは人形づくりの技術に定評がある㈱松崎人形の作で、写真にあるように金襴地の巾着から珊瑚・小判・打出の小槌・隠れ蓑・隠れ笠・七宝・丁子といった日本古来のお宝が溢れ出る、おめでた~い縁起物。(台にアクリルのキューブを使ってちょっと今様に…)家庭で飾るだけでなく開業や開店のお祝いとしてのギフト需要もあるのでは?と欲張ったもの。

私は過去40年余りものづくりに係わってきたが、対象は何れも生活必需品であり、機能やデザイン、そして製造方法まで徹底して追うことを求められた。ところが、この“imayo:KAZARI”ではそういった制約から解放され、需要の予測と商品の価値と価格のバランスを監視することさえすればよくなった。肩の力を抜いた年齢にふさわしい仕事を得たような気がする。(S)

5月02
投稿者:(S)

「もの作り」と「もの売り」の仕事に関わって40年あまり。行政や組合、企業からの依頼でプロダクトデザインや開発企画のコンサルテーション、そして、著述や講演、さまざまなコンペの審査員、行政の施策審議委員などと共に、オリジナル商品の開発、販売も続けてきた。よくもまぁ、いろんな仕事に関わってきたものだ、と自分でも驚く。時代に応じて方法は変ったけれど、「生活を快適にするもの作りとその販売」という姿勢はブレてないつもりである。

そして先年、東京へ戻って感じたことは、やはりというべきか、ユーザーとメーカーの“もの”に対する乖離である。ユーザーはメーカーの事情を知らずにあれやこれやと無いものねだりをする、メーカーはユーザーが求めている価値を知ろうともせず勝手な思い入れでものを作る。その行き違いが、一方で「よいものがない」、他方で「作っても売れない」という不満になる。

近年、ITにより流通の形態が変ってきた。商品を卸や小売を経ずにユーザーとメーカーで直接販売する方法が増えつつある。しかし、その割にはユーザーのニーズがメーカーに伝わることが少なく、現場では相変わらず手探りで商品開発が行われている。十年ほど前から急速に発達したSNS(Social Networking Service=ネットを使ってユーザーと交流できるサービス。ブログやミクシィ、ツイッターなどがその代表格)という手段も、新しい商品販売手法としては導入されているが、開発手法に活かされている例はあまり見当たらない。昨年あたりから注目を集める新たなSNSである“フェイスブック”も特に双方向の交流機能が強いと言われてはいても、本屋に並ぶ解説書は「いかに販売に役立てるか」が強調されたものばかりで「どうすればものづくりに活かせるか」は書かれてない。つまり、現実は依然として片方向のままなのだ。

どれほどITが進化して多様なSNSが生まれても、また、IT以外の新しい方法でユーザーの情報を集めても、それを分析・構成した後、メーカーの現場を鑑みながら上手く商品に表現する作業が必要になる。つまり、アンケートで評価を訊くだけでなく、具体的な商品像にまで繋げる咀嚼作業が求められるわけで、そうでないとユーザーにフィットする商品など望むべくもない。今、メーカーに求められているのはデザイナーやプランナーより咀嚼屋(マスティケーター)ではないか。そんな新たな職業が世に認められる時代が来そうな気がする。(S)

5月01
投稿者:(S)

先のブログのタイトルを『柔和な生活でよいものを』としたが、ここで“よいものとは何か”について私が考えるところを述べておきたい。

“よいもの”の定義については、苦い経験がある。20年ほど前のこと、ある地方の地場産業に従事している人を対象にした講演の後で、「あなたが考えるよいものとは、どういうものか」とメーカーらしき人から質問され、答に窮してしまったのだ。しどろもどろになりながら何とか言葉を継いだが、壇上でドッと汗が吹き出した。普段は何げなく使うこの言葉、定義とは言わないまでも、多くの人が納得できる基準がないと話も通じないし、ものも作れないだろう。この講演から、私はどう定義すればよいかを考え続け、浮んだのがこれを漢字にすることであった。

“よい”に漢字を当てると何があるか?まず大抵の人が最初に思いつくのが“良い”であろう。次に思いつくのが“善い”。続いて“好い”が浮ぶが、なかなか“佳い”までは至らないようだ。なぜなら、講演での苦い経験を逆手に取り、以降の講演で「“よい”を漢字にするならどういう字を当てるか?」という質問をすると、ほぼその順になるからで、最初に“佳い”を挙げた人(ある県の女性職員)に出会ったのは一度しかない。

“良い”とは品質を指す。質の悪いものを好む人はいないだろうし、よいものを作るなら、まず、品質の良いものでなければならない。“善い”とは道徳的な意味を指す。善悪という言葉があるように、社会規範に則っているかどうかがものの価値を分ける。公序良俗に反したものをよいとはいえないし、また、ものだけでなく企業そのもののあり様が問われる時代でもある。近年、企業のトップが記者会見で頭を下げるシーンを私たちは度々見てきたが、それらの殆どが企業として善くない行いをしてきたからではないか。“好い”は字の如く感性の基準である。好きか嫌いかの判断は個人が決めるものではあっても、多くの人に受け入れられる感性はある。そしてそれを上手く表現できれば“よいもの”になる。最後の“佳い”は品性の尺度である。ものづくりにとってこれは最も難しい。なぜなら、品というのは一朝一夕に備わるものではないから。努力しても簡単には身につかないものを表現するのはなかなか困難なことである、と身をもって言える。

ただ、上の4つはものとしての基準であり、商品では異なる。ものがいくらよくても価格とのバランスがとれていないなら商品としては不完全で、(質、技術、デザインといった総合的な)価値≧価格という定理が守られなければならない。ところが、誰でも肯けるはずのこの定理も、ものづくりの現場では時として価値<価格になることがある。つまり、作り手側の一方的な思い入れによる価値が使い手側には評価されないということで、こういう場面に出くわすと作り手は「世の中、よいものがわからない人が多い」と身勝手な不満を漏らす。商品である以上、買ってくれるお客が必要だ。対象とする人たちがどういうことを価値として認めてくれるかを知る努力をせずによい商品ができるはずがないと思うのだが。(S)

4月29
投稿者:(S)

この度、『柔和な生活』というWeb shopを始める。ネットを介してユーザーとメーカーの交流を強く推し進めようとする事業である。ショップであるから商品を売るのは当然だが、ユーザーから得た情報をメーカーに伝えることで、更によいものができる仕組みを作る。ものづくりに従事しておられる方で興味をお持ちなら、当方のホームページの「柔和な生活案内」にその詳しい内容を記したのでお読みいただきたい。

「柔和な生活」とは、言葉の通り“やさしく和む”という意味で、私たちが最も大事にしたい生活様式である。勿論、人それぞれに和み方は異なる。ガラスや金属を素材にした鋭いデザインのものに囲まれたモノクロのインテリアを好む人もいれば、日本の古民家で骨董的な道具を使うことが最も和める生活だとする人もいる。だから、この「柔和な生活」は、私たちが勝手に提案する生活スタイルに過ぎない。あまり広くはない住空間で、あまり贅沢を言わず、身の丈に合ってこそできる快適な生活をめざして様々な生活道具を開発、紹介しようというものだ。

また、柔和は“new和”の意味もある。伝統やレトロとは異なる、今の暮らしに適った和でありたい。しかもその和は、単に形や色がモダンな和風であるだけでなく、日本人の心の底にある和の精神を表現することで心地よいものになることをめざす。と述べると、上段に構えた文化活動のように聞こえそうだが、そんな崇高な理念を掲げるつもりはなく、ただ、日本人のDNAとして親しめる和の道具を意味する。下のロゴで私たちが志すところをお解りいただけるだろうか。

私たちと共に、よいものづくりに努力してみようという作り手の参加をお待ちしたい。(S)

4月11
投稿者:(S)

今日、ウォーキング途中に寄った井の頭公園では桜が咲きそろい、池の水面がピンクに染まっていた。

東日本大震災からちょうど1ヶ月、災害に遭った地でも津波で折れそうになった枝から一輪の桜が咲き初めた、と夕刊にある。被災された方はこの花をどんな気持ちで観られたのだろう。地震、津波、原発事故によって人生を狂わされた方々に、「桜を観てがんばって」などと軽々しく言えるものではない。これから桜の季節を重ねる毎に、少しずつ傷が癒え、少しでも心弾むことが多くなるのを祈るばかりである。

桜は華やぐ花である。寒い冬を乗り越えてやっと春が来る、その時に明るいピンクの花が咲く。酒を飲み、踊りたくなるような楽しい気分になる。だから日本人は桜を愛でる。また、入学・新学年、就職、年度変りといった節目に咲く花であることも、日本人が桜への思い入れを強くする理由のひとつだ。多くの人が桜の下で撮った入学式の写真をお持ちではないか。更に、日本人が桜を好むのは、散る姿に“あはれ”を感じるからだとされる。確かに盛りが過ぎて風に舞う花吹雪は美しく、服に付いた花びらは一枚ずつ惜しみながら捨てたくなる。

全国各地、それぞれに誇る桜がある。名木といわれるものの中で私が印象に残っているのは、熊本・南阿蘇の一心行の桜、京都・円山公園の枝垂桜などだが、これらを凌ぐ知られざる桜が京都にある。数年前に関係者の紹介で観せてもらった某宗教団体の庭に立つこの枝垂桜は、その大きさや枝振りが見事に手入れされていて、夜、うっすらと照明を当てて宗教行事を行えばたちまち信者になってしまうだろうと思うほど妖しい“秘桜”であった。

名木もよいが、桜の感動は千本桜といわれる群生の迫力にもある。溢れんばかりの桜が咲き乱れ、その中に立つと我知らず顔ほころび、心華やぐ。これが桜の醍醐味であり、こういう城址や公園が日本の津々浦々にあるのは嬉しいことだ。北海道から沖縄まで平等に楽しめるのだから。

今、NHKの時代劇で使われた“ふくい舞”の『いくたびの櫻』を聴く。災害地でもいくたびの年が巡り、華やぎが戻りますように。 (S)

3月15
投稿者:(S)

武蔵野美術大学を卒業後、同学専攻科に進んで出会ったものに民俗学がある。教えていただいたのは宮本常一(1907~1981)教授。今でこそ日本の民俗学の泰斗と評されているが、私が学んだ1960年代初頭にはとても気さくな優しい先生であった。といっても、先生の授業はデザイン専攻科の履修科目にはなく他の学部でしか受けられなかったので、私はいわゆるモグリ学生であった。

講義も面白かったが、先生が得意とされた集落の実地調査に参加して地域における様々な生活文化を肌で識る、この型破りゼミの感動は大きかった。年度最後の授業として行われた山梨県上野原村の調査で、地の老人が編んだ竹籠を求めてリュック代わりに背負っての帰り道、先生から「君、いいものを買ったなぁ」と目を細めて褒めていただいたのも忘れ難い思い出である。勿論、私が正規の学生であるかどうかなど頓着されていなかっただろう。その証拠に次のような文を『民族学の旅』(1993年講談社文庫発行)に書いておられる。

「講義というのは一方的なもので大ぜいの学生に話しかけるだけで名を覚えることはほとんどない。しかしいろいろの問題をもって研究室にくる者があり、その学生たちと話すのはたのしかった。私はどうも学生たちが大学を出て大きな会社に勤めたり、官庁へ勤めたりしていわゆる立身出世するような将来を持つ学校へ勤める気がなかった。自分の力を出し切って生きてゆくような仲間ともっとも親しくしたかった。美術大学にひかれたのは、そこが実力の世界であったからである。」

更に続く次のような文章に接し、先生に教えを得る機会を得たことをつくづく幸せだと思う。

「物の本質のわかるということはすばらしいことであった。彼らは古いすすけた道具など見てもそれを汚いものとは見ないで、その中にひそむ造形的な美しさに心をひかれた。従来の民俗学は事象のうえをなぜて通るような聞取が多かったのであるが、美術学生は絵や図にすることが巧みで、農家や漁家にしても一軒一軒を実に丹念に測図していく。たとえば、一部屋一部屋におかれている物品まで、丁寧に測図していく。それによって部屋がどのように使われていたかが具体的にわかる。部屋は生きており、部屋の利用の仕方の変遷もわかる。またそのような家が組みあわさって集落ができていることもわかって来る。(中略)彼らは地理とか歴史とか、さらにこまかく美術史とか生活史とか、学問をこまかく分類してそれを身につけていく、いわゆる論理的であることにはそれほど興味を示さず、どうしたら人間の本質を知ることができるか、人間のエネルギーとは何であるか、人間の英知とはどういうものであるかを知りたがった。ただ衝動的にではなく秩序をたて実践を通して知りたがった。こうした学生の群にぶつかったのははじめてであった。」 

デザインはものの本質を洞察する作業が半分、そして、得たものを表現するのが半分だと私は長年の経験から悟った。同じようなことを先生は30年前に著しておられたのだ。(S)

2月14
投稿者:(M)

前回ご紹介した高低に使えるテーブルの詳細。
部材は大小2枚の天板と高低2種のコの字型の脚各1組。合計6点。

大の天板の短辺と小の天板の長辺が同じ長さになっている。コの字型の脚をこの同じ長さの辺に取り付ける。それぞれビスを5箇所づつで留めるので、1台を組み立てるのに10本のビスを締めることになる。小さな六角レンチでくるくる回すのだが、慣れれば5~10分で組み上がる。それだけで反りや揺らぎのないテーブルが出来上がるのは、ビスの位置や角度、天板の裏側の細工など経験から来る知恵があればこそなのだが、そこは言わぬが花(言ってしまった)。組立て家具と言えばふにゃふにゃしたものという先入観は捨てていただきたい。

①大の天板に高の脚で大きなダイニングテーブル。

②大の天板に低の脚で大きな座卓。

③小の天板に高の脚でティーテーブル。

④小の天板に低の脚でセンターテーブル。

⑤大の天板に脚を付けずに酒席。

⑥小の天板に脚を付けずに酒卓。

さらに⑦ダイニングテーブルの横にセンターテーブルを置くとサイドテーブル付きのダイニングスペース。ということで、七変化。

画像左は②、右が③。

左が⑤、右が⑥。そして次は前回と同じ画像だが①と④を組み合わせた場合、つまり⑦。

これでどんな顔ぶれが揃っても、大抵の場合に対応できるはず。日常的には、我が家のようなマンションのLDではダイニングテーブル①とセンターテーブル④だが、もっとさまざまなステージを持つ一戸建てならリビングに大きな座卓②とテラスに面したスペースにティーテーブル③を置くこともできるし、③をプライベートスペースのデスク代わりに使うこともできる。そしていずれの場合にも、時と場合に応じて天板と脚を組み替えて非日常の設えを創ることができるというわけだ。

こうなるとテーブルを試してみたくて人を招きたくなります。でもあまり度々だとそれも面倒になるかも知れません。その合間の微妙なバランスがこのテーブルの活躍どころなのでしょう。それこそがちょうど良い生活なのではないでしょうか。(M)

1月27
投稿者:(S)

先月中旬、久しぶりに風邪をひいた。2.3日様子を見ていたが咳が止まらない。長引くとまずいと近所の医院で診てもらい、夕食後に処方された薬を飲んだ。ところがその薬が大当り、翌朝には顔から足の先までびっしり発疹が現れ、鏡で見ると自分の顔とは思えないほどの腫れ。それをマスクで隠して医院に飛んで行くと「直ぐに入院設備のある病院で治療したほうがよい」との診断。紹介状をもらって大病院へ行くと「これは重症、呼吸困難になると大変」と即入院を申し渡された。正に青天の霹靂である。病気とは縁遠かっただけに入院と聞いただけでテンションが上ってしまう。

薬疹を抑えるためには大量のステロイド剤の投与が必要だ。しかし、その副作用として血糖値や血圧が上る。それを抑えるために朝、昼、晩と検査し、数値を確かめながら相応の注射や薬を飲まねばならない。だから入院が必要になる、と理に適った話に加え「呼吸困難」という言葉を聞けばためらう気は失せ、そそくさと病室へ。

与えられた空間は4人部屋でひとりのスペースが約6㎡である。結果としてこの空間で約300時間を過すことになったのだが、日が経つうちにこの狭さでも意外に我慢ができるものだと知ることになった。2×3mに24時間居るのはとても息苦しく、それが12日も続くのはひどく苦痛だろうと普段なら考える。しかし、実際に過ごしてみると、快適とは言わないまでもさほど痛痒を感じない。何することもなく唯々時間が経つのを待つ、そのための空間ならこれで十分、数日で自分の城としてすっかり馴染んでしまった。退院する頃には、今まで狭いと思っていたマンションも大邸宅に感じるのではないかとさえ思ったほどである。“起きて半畳、寝て一畳”という言葉もある。きっかけはともかく、贅沢を戒められた6㎡であった。

今回私が得た薬害についての3つの情報。

①薬というのはどんなものでも(市販の風邪薬でも)人体に害を及ぼす可能性があること。(従って、処方してくれた医者を恨むのは筋違いである)
②漢方薬は効き目が穏やかだからと安心するのは間違いで、薬害を起こす可能性は案外高いこと。
③薬害は初めて飲んだ薬で生じるのではなく、2度目以降に現れること。(例えば、赤ちゃんが蚊に刺されたとき、1度目は何の反応もないが2度目からは腫れて痒くなるのと同じだとか)

皆さまお気をつけて、と言いたいところだが、注意すれば防げるものではないので罹ったら早めに病院へ。「呼吸困難」になったら大変です。(S)

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