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ワイズワークのふたりごと

9月01
投稿者:(M)

古い話で恐縮です。結婚して初めての遠出は窯元めぐりだった。自家用車も持たないのに「笠間で陶器市がある」という情報だけを頼りに電車を乗り継いで出かけ、安さにつられて買い込んで、帰り道の荷物の重かったことが思い出。陶器市も今のように賑やかなものではなく、野辺の道端にちょこっと並べている人がいたりして、本当に長閑だった。

以来37年、いつのまにか仕事で陶磁器産業にもかかわることになっている。ずっと焼き物が好きだが、内容は変わってきた。昔はいわゆる土モノが好きで、華やかな絵付けのある磁器には全く関心がなかったのに、九州に仕事の場を移して当然のように有田焼に近づき、そして磁器の美しさに目覚めた。

身の回りに磁器が増えていくにつれ、磁器の良さに気づかされる。090901-1

全く同じ容量の二つのカップ、同じように見えるけれど全く違う。左は3年前に伊万里の事業で開発したもので磁器、重さは105g。右はコーヒーメーカーに付属の部品で陶器、175g。重さは磁器の方がなんと4割も軽い。さすがにカップは5個を一度に持つことはないけれど、皿なら5枚まとめて戸棚から出すこともある。そのとき70g×5=350g軽い。言い換えれば、陶器を3枚取り出す力で磁器は5枚出せることになる。あちこちの筋力の衰えを感じる今になって、磁器は本当にありがたい。

自動車の乗り入れが制限されるというのに、有田の陶器市は毎年100万人の人出で賑わうという。3枚分の重さで5枚持てるからなのでしょうか。3枚分のお金で5枚買えるというわけではありませんよね?(M)

8月24
投稿者:(S)

name card介護とユニバーサルデザイン(UD)の区別を明確に理解している人は少ないようだ。だから、UDと聞いただけで「私はまだまだ元気なんだからUDを謳ったものなど使いたくない」と、ひねくれ者が現れる。では、介護とUDは一体どう違うのか。

介護用品というのは、身体機能や感覚機能に何らかの理由で障害を持つ人のために特別な配慮をしたもの。一方、UD用品は、障害があってもなくても年齢や性別、言語に関係なく多くの人に使くやすくしたものである。つまり、前者はゼロに機能をプラスしたものであり、後者はマイナスをゼロにしたものと考えると解かりやすい。だからUDは万人に使えるのであって、「UD用品など未だ使いたくない」というのは認識不足もいいところ。

ところで私の名刺、表は名前と落款風のロゴだけで、情報は裏にまとめて記している。量が多いので勢い字のサイズを小さくせざるを得ないが、それでも最小は8ポイント。これならたいていの人にメガネをかけずに読んでもらえる。この配慮がUDである。

一般に名刺は住所や電話、ファックスなどの文字を小さくした方がデザインとして格好がつきやすい。だから若いデザイナーは虫眼鏡でしか見えないようなポイントにしたがる。その結果、シニアでなくても読むのに苦労するような名刺を渡されることになる。

ユニバーサルデザインを無視したデザインが「かっこいい」なら何のためのデザインか、とシニアデザイナーは問いたい。 (S)

8月21
投稿者:(M)

090821 健康のために夕方3~40分歩く。出会ったご近所さんが「お散歩ですか?」と声をかけてくださる。にっこり挨拶を返すが、内心「散歩じゃないもん、ウォーキングだもん!」と思う。散歩というと漫然とぶらつく印象があり、早足で3kmほどを歩いている私には不服なのです。

4歳の孫を山歩きに誘った。出会った人には挨拶をするのよ、と山のマナーを教えると、最初は恥ずかしそうにしていたのが、返って来る返事に励まされてだんだん元気な「コンニチワー」になってくる。そのうち愛想の良いおばさま方が「おりこうさんね」と言ってくださる。すると孫は「こんなところでおりこうさんといわれても、イミわからん」と言う。ひねくれは遺伝でしょうか。(画像は3年ほど履いたウォーキングシューズ。靴までひねくれている?)

60歳を過ぎて運転免許を取った亡父は、必ずシートベルトを締めていた。その頃は規制が厳しくなくて、滅多に締めている人はいなかった。それを見た田舎の街の駐車場のおばさんが「おっさん、エライね」と言ったそうな。帰ってきた父はなぜかとても気分を害していた。紳士のつもりなのに「おっさん」と呼ばれたことよりも「エライ」と言われたことに。「バカにしている」と言うのだ。ひねくれは家系かも知れません。

少し前にユニバーサルデザインという言葉が目につくようになった。誰にでも使い易い(=ユニバーサル)商品を、という運動は消費者にとって大いに歓迎すべきだと思う。ところが業界からは「ユニバーサルを謳った商品は売れない」という声が上がる。作る側がせっかく使い易いデザインを目指そうというのに、使う側は「自分は健康だから別にユニバーサルでなくてもよい」と思ってしまうらしいのです。

善意はひねくれずに素直に受け止めたいものです。(M)

8月13
投稿者:(S)

回転椅子子供が育って家を出て行くと夫婦二人の生活に戻る。そこでライフスタイルをリセットしてみようと考える。私もそんな世代になって新たな楽しみを見つけた。

例えば、どんな服を着てもあまりとやかく言われる心配はない。食べるものも酒のつまみ中心に変えられる。でも、一番楽しみなのは住生活のリセット。

自宅マンションは昨秋漸く最後の娘が出て行ったので、これからガラッと模様替えしようと目論んでいる。リフォーム専門会社によると、建物の躯体だけ残して大幅に改装するのを「スケルトン方式」と言うらしいが、それなら家を建てるとはいかないまでも結構自分の好きなように設計できるのではないか(これでも私は2級ながら建築士の資格がある)とワクワクする。

そうこう考えていると、家具もまたリセット用のものがあってもよいのでは、と思うようになった。数年前に二人用のテーブルと回転椅子のセット(上の写真)を某通販会社と開発したが、まさにそれは今必要とする家具の伏線であり、近々改めてデザインしなおして世に問いたいと考えている。更に生活リセット世代の方々に向け、家具のみならず食器やインテリア用品(これを私は「住具」と呼びますが)にも拡げていければ、楽しい仕事になるだろう。

ブログが一方的な発信であるならあまり意味がないと考えていましたが、読まれた皆さまとコミュニケーションを図りながらモノづくりすればご同輩によりフィットしたものが開発できるだろうし、自分にとっても快適な住具を生み出せるのではないかと気付き、今、スタートします。ご感想やご意見をお気軽にお寄せください。(S)

8月01
投稿者:(M)

はじめてのブログ投稿です。

生活道具を作る仕事に携わりながら、見たモノ感じたコトをつれづれに気負わずに綴ってまいります。

いつの日か、その集積が自分の記録となり、また読んでくださる人の心に私の実像を結ぶことができたらと思います。

さて、今日はメル友から送られた「京野菜の長ナスと普通のナス」画像からの考察。

京都では珍しいようですが、実はここ福岡ではこの長ナス(こちらでは紫色)の店頭に占める割合がとても大きいのです。普通のナスをわざわざ「短ナス」と表示しているくらいです。

試してみましたが味にさほどの違いは感じられない(私の味覚が鈍いのかも)。焼きナスなどに適していると言いますが、そのまま網に載せるわけにもいかない。当然「短ナス」程度に切って使うことになります。ならばなぜ、わざわざこれを栽培するのか? 大は小を兼ね、長は短を兼ねる、というわけでもないでしょうが。その答はいずれ近くの農家に求めるとして。

私たちワイズワークでは普段は少人数で小さいテーブルを使う家庭で、来客などで大人数になるときのための卓を提案し販売してきました。その必要性が認められて20年以上も販売を続けているものもあります。

そして近頃ようやく気づきました、「一人だけのためのテーブル」というものがない! 大は小を兼ねるかも知れないけれど、取って代わることはできない、と思う此の頃です。(M)

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